名前だけは聞いたことがあるけれど、どんなレスラーだったのかまでは語られにくい存在がサムソンクツワダではないでしょうか。サムソンクツワダの歩みを整理し直すことで、昭和プロレスのリングに潜んでいたドラマや人間関係がより立体的に見えてきます。
- サムソンクツワダの基本プロフィールと経歴
- 全日本プロレスのクーデター事件との関係
- 試合映像を楽しむための観戦ポイント
この記事ではサムソンクツワダの相撲出身というバックボーンから全日本プロレスでの役割、海外での活躍、さらには1977年クーデター騒動までをまとめてたどります。読み終えたころにはサムソンクツワダの試合や写真を見返したくなり、昭和プロレス観戦が一段深く味わえるようになるはずです。
サムソンクツワダの基本プロフィールと歩んだリング人生
サムソンクツワダは本名を轡田友継といい、北海道江別市出身の相撲出身レスラーとして昭和プロレス史に名を残しました。サムソンクツワダのプロフィールを押さえておくと、映像や記事の断片でしか触れてこなかった人にとっても、その存在感や時代的な位置付けが一気に理解しやすくなります。
大相撲からプロレス転向までのバックグラウンド
サムソンクツワダは若い頃に朝日山部屋へ入門し、二瀬海という四股名で幕下まで昇進した後にプロレスへ転向した経歴を持ちます。このサムソンクツワダの相撲経験は、腰の据わった腰高でない受け身や、低く腰を落としたタックルなどに生きており、大柄でもバランスを崩しにくい安定感の源になっていました。
日本プロレスと全日本プロレス時代のポジション
サムソンクツワダは日本プロレスに入門し、やがてジャイアント馬場の付き人として信頼を得たのち、団体の分裂とともに全日本プロレスへ合流しました。全日本ではサムソンクツワダはメインイベンターではなく中堅どころとして前座やセミ前を支え、巨体を生かしたパワーファイトでカード全体の厚みを作る役割を担っていたと語られます。
海外遠征とオーストラリアでの活躍
サムソンクツワダはオーストラリアの団体に長期遠征し、現地ファンには本名ではなくギミック名でヒールとして知られていました。サムソンクツワダは軍服姿のキャラクターや東洋系悪役として登場し、ナチス系ギミックのレスラーと組んでブーイングを一身に集めることで、現地興行に必要な「わかりやすい悪役」を体現していたと伝えられています。
タイガーマスクやヒロトージョーなどの別名義
サムソンクツワダは日本プロレス時代の韓国遠征で覆面タイガーマスクとしてリングに上がったり、海外ではヒロトージョーやグレートトージョーといった名義で戦ったことでも知られています。サムソンクツワダがこうした別名義を使い分けた背景には、当時の国際情勢や観客のステレオタイプに合わせたキャラクター作りがあり、時代性を映す鏡としても興味深い存在になっています。
引退とその後の生活、早すぎる死
サムソンクツワダは1970年代後半にリングを離れ、全日本プロレスの表舞台から姿を消したあとは、メディアに大きく露出することなく静かな生活を送っていたとされています。サムソンクツワダは2004年に白血病で57歳の若さで亡くなり、訃報が伝わったときには当時を知るファンやレスラーから、その体格と存在感を惜しむ声がじわじわと広がりました。
こうして経歴を追ってみると、サムソンクツワダは相撲からプロレスへとキャリアを切り開き、日本と海外の両方で「大型戦車」として印象を残した職人的レスラーだったことが分かります。サムソンクツワダの軌跡を把握しておくと、後年語られるクーデター事件やタッグタイトル戴冠の重みも、単なるエピソードではなく一人の人生の流れとして感じ取れるようになります。
全日本プロレスクーデター事件と評価に残る役割

サムソンクツワダを語るうえで避けて通れないのが、1977年に全日本プロレスで起きたクーデター騒動における中心人物としての位置付けです。サムソンクツワダの名前はこの事件とともに語られることが多く、そこにばかり注目してしまうとレスラーとしての魅力が見えにくくなると感じている人もいるかもしれません。
1977年クーデター計画の概要とサムソンの立場
報道や証言を総合すると、サムソンクツワダは1977年暮れに一部スポンサーやテレビ局と新団体構想を進めた中心人物として位置付けられています。サムソンクツワダはジャイアント馬場の付き人として内部事情に通じていたことから、人脈や情報を活用してクーデター計画を描いたものの、事前に発覚して全日本から解雇される結果になったとされています。
ジャイアント馬場とジャンボ鶴田に与えた影響
クーデター事件はサムソンクツワダ個人の処分だけにとどまらず、馬場とジャンボ鶴田の関係にも長く尾を引いた出来事として証言されています。サムソンクツワダが首謀者とされた一方で、計画に名前が挙がった鶴田は馬場から「お前は特別だ」と不問に付されたとされ、この出来事が以後の力関係や距離感を決定づけたという見方も根強く存在します。
事件後の評価と「影の名脇役」という捉え方
クーデター事件によってサムソンクツワダは全日本のリングから姿を消しましたが、その後の証言や回想では単純な裏切り者像としてだけでは語られていません。サムソンクツワダは団体の将来を自分なりに考えた行動だったという見方や、時代の荒さの中で生まれた無謀な賭けだったという評価もあり、昭和プロレスの裏面史を象徴する「影の名脇役」として再評価されつつあります。
クーデター騒動に目を奪われると、サムソンクツワダのリング上の働きや海外での実績が見えにくくなりますが、事件を含めて振り返ることでむしろ人間臭い魅力が浮かび上がってきます。サムソンクツワダというレスラーを総体として捉えると、成功と挫折が混ざり合った昭和ならではのキャリアが凝縮されていることに気付き、映像を見返すときの視点にも厚みが生まれます。
体格とファイトスタイルから見るサムソンクツワダの魅力
ニックネーム「大型戦車」が象徴するように、サムソンクツワダの最大の特徴は190センチ超の体格と重量級ならではの迫力あるファイトスタイルでした。サムソンクツワダの動きを改めて意識して見ると、ただ大きいだけでなく、相撲と欧州式レスリングの基礎が合わさった独特のリズムが感じられるはずです。
- サムソンクツワダの巨体を生かした打撃と投げ
- カールゴッチ仕込みといわれる基礎の確かさ
- 前座戦線で光る受けとつなぎ役としての巧さ
- タイガーマスクやヒールギミック時の表現力
- アトミックドロップなど得意技の説得力
- タッグマッチで味わえる支え役としての妙味
- スローテンポな試合展開で作る重厚な空気
こうした視点を持ってサムソンクツワダの試合を見ると、豪快さだけでなく流れを整える職人としてのセンスも見えてきます。サムソンクツワダは派手なラフファイトだけでなく、試合運びの中で相手の技を受けてから自分のペースに引き込む緩急の付け方にこそ真価があり、その違いを意識すると映像の楽しみ方が変わってきます。
大型戦車と呼ばれた体格とパワーファイト
サムソンクツワダは全盛期で体重120キロ超とされ、大型戦車という異名どおりロープワークやショルダータックル一つにも圧がありました。サムソンクツワダの試合では、ロープに飛ばした相手を受け止めるだけで場内がどよめく場面も多く、単純な技でも巨体が乗ることで映像越しにも重さが伝わる点が魅力です。
カールゴッチ直伝とされる基礎とグラウンド技術
サムソンクツワダはカールゴッチに師事した選手の一人として語られ、ロックアップやヘッドロックといった基本動作に独特の説得力があります。サムソンクツワダのグラウンド攻防を注意して見ると、重い身体を預けながらも相手の逃げ道を塞ぐ押さえ込み方や、じわじわとプレッシャーをかける腕取りなど、地味ながら玄人好みの要素が詰まっているのが分かります。
タッグ戦で光る受けと支え役としての立ち回り
タッグマッチではサムソンクツワダは攻める役だけでなく、相手の猛攻を長く受け続けて試合のドラマを作るポジションを任されることが多くありました。サムソンクツワダはダウンから立ち上がるテンポや苦しそうな表情の付け方が巧みで、相棒のタッチを待つ時間そのものが見せ場になっており、名勝負の陰で試合全体の起伏を支える重要なピースになっていました。
主要タイトル歴と代表的な試合を振り返る

サムソンクツワダはシングルのトップ王者になるタイプではありませんでしたが、タッグ戦線では確かな実績を残しています。サムソンクツワダのタイトル歴や代表的な活躍シーンを押さえておくと、映像アーカイブを探すときの目印が増え、昭和プロレスの流れの中での立ち位置もつかみやすくなります。
| 時期 | 団体 | パートナー | タイトル | ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 1970年代前半 | 全日本 | 高千穂明久 | アジアタッグ王座 | 東條兄弟ギミックで戴冠 |
| 1970年代中盤 | 豪州団体 | ヒトトージョーほか | NWA豪亜タッグ | ヒールユニットで活躍 |
| 日本プロレス末期 | 日本プロレス | 日本人若手 | 前座戦線 | 大型新人として注目 |
| 全日本初期 | 全日本 | 外国人勢 | シリーズ参加 | 巨体でカードを支える |
| 晩年 | 全日本 | 若手選手 | 中堅ポジション | 興行全体のつなぎ役 |
このようにタイトルそのものの数は多くないものの、サムソンクツワダは日豪両方のタッグ戦線で「重し」として機能し、パートナーや対戦相手の魅力を引き出していました。サムソンクツワダのキャリアをタイトル表で眺めると、ベルトの数以上に各シリーズで欠かせないピースとして配置されていたことが見えてきて、映像を探すときにもタッグパートナー名や時期がヒントになるはずです。
アジアタッグ王座戴冠と東條兄弟タッグの存在感
サムソンクツワダは高千穂明久とのコンビでアジアタッグ王座を獲得し、軍服姿の東條兄弟ギミックとして全日本マットに独特の空気を持ち込みました。サムソンクツワダが前面に出る試合では、入場の段階から会場の視線を集めつつ、タッグパートナーの巧みなテクニックと絡み合うことで、当時のシリーズの記憶に残る悪役チームとして語り継がれています。
オーストラリアでのNWAタッグ王座と外国人ギミック
オーストラリア遠征中のサムソンクツワダは、現地団体でNWA系タッグ王座を複数回獲得し、ヒールとしてブーイングを浴びる役割を徹底していました。サムソンクツワダは東洋の悪役としてのイメージを背負いつつも、リング上では基本に忠実なレスリングと重い一撃を組み合わせることで、単なる色物ではない実力派として現地ファンにも記憶を残したと言われます。
前座戦線での名勝負とファンの記憶の残り方
日本のファンにとってはサムソンクツワダはメインよりも前座やセミ前で頻繁に目にするレスラーであり、少年時代に会場で見た巨体の印象が強く残っているという声も少なくありません。サムソンクツワダの試合はテレビ中継で大きく取り上げられる機会こそ多くなかったものの、紙面や会場で実際に見た世代にとっては、昭和の興行を支えた顔ぶれの一人として記憶に刻まれています。
サムソンクツワダをもっと楽しむための観戦ガイド
ここまで経歴や事件を追ってくると、サムソンクツワダの試合を実際に見てみたくなった人も多いのではないでしょうか。サムソンクツワダは派手な必殺技よりも全体の流れや立ち位置で魅力が光るタイプなので、観戦するときの視点を少し工夫するだけで印象が大きく変わります。
映像でチェックしたい時期とおすすめの探し方
映像を探す際には、サムソンクツワダがアジアタッグ王座を巻いていた全日本プロレス初期から中期のシリーズや、オーストラリア遠征期のカードに注目するとよいでしょう。サムソンクツワダはタイトルマッチ以外にもシリーズ中のタッグ戦や外国人との対戦など見どころが散らばっているため、年代とパートナー名を手掛かりにすると効率よく映像を見つけやすくなります。
同時代レスラーとの比較で見えてくる個性
同じ全日本の大型選手であるザ・グレート・カブキやアブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディらと比較すると、サムソンクツワダの立ち位置や魅力がよりはっきりしてきます。サムソンクツワダは彼らほどの怪物性やスター性を前面に出すのではなく、試合の中で相手を立てつつ要所で重さを見せるバランス型のレスラーであり、その違いを意識して見るとリング上の役割分担が分かりやすくなります。
入門経路やリングネームから昭和プロレス文化を味わう視点
朝日山部屋出身で相撲からプロレスへ転向し、さらにサムソンクツワダやヒロトージョー、タイガーマスクといった複数のリングネームを使った経歴自体が昭和プロレス文化を象徴しています。サムソンクツワダの名前の由来である旧約聖書の怪力士サムソンや、当時の国際情勢を反映したギミック設定に目を向けると、単なるリングネーム以上に時代背景が織り込まれていたことが見えてきて、試合以外の部分からも楽しみが広がります。
こうした観戦の工夫を意識すると、サムソンクツワダの試合は勝敗だけでなく、興行全体の中で与えられた役割や時代の空気まで感じられるコンテンツに変わります。サムソンクツワダという一人のレスラーを入口に、昭和プロレスの映像や書籍を横断的に見ていくと、当時のリングが持っていた豊かな文脈をゆっくり味わえるでしょう。
まとめ
相撲出身の巨体レスラーとして登場し、全日本プロレスのタッグ戦線やオーストラリア遠征、そしてクーデター騒動まで多くの場面に関わったサムソンクツワダは、昭和プロレス史の中で「影の名脇役」ともいえる存在です。サムソンクツワダの経歴やファイトスタイル、事件の背景を押さえてから試合映像を見ることで、当時の興行の仕組みやレスラー同士の力学がより具体的に見えてきて、自分なりの視点で昭和プロレスを楽しめるようになるはずです。

