血まみれになりながらも笑顔でピースサインを決めるドリューパーカーの姿に、胸をつかまれた人は多いのではないでしょうか。ドリューパーカーを深く知ると、過激さだけでなく繊細さやストーリー性まで見えてきて、デスマッチ観戦がぐっと立体的になるはずです。
- プロフィールとリングキャラクターの整理
- 日本と海外それぞれの主要団体での実績
- 引退と復帰を経た現在の見どころと名勝負
この記事ではドリューパーカーの経歴やタイトル歴、必見カードを整理しつつ、試合を観る時に押さえておきたいポイントを人物図鑑としてまとめます。読み終えたころにはドリューパーカーの試合をどこから追い直せば良いかが分かり、過去映像や今後の来日情報を見つける楽しみが増えるのではないでしょうか。
ドリューパーカーというデスマッチレスラーの基本情報
まずはドリューパーカーというレスラーを人物像から押さえておくと、その後のキャリアや名勝負も理解しやすくなります。ドリューパーカーのプロフィールやニックネームの意味、どんなバックボーンを持ってリングに立っているのかを知ることで、デスマッチの一つ一つの選択に込められた意図が見えてくるはずです。
| 項目 | 内容 | 時期 | メモ |
|---|---|---|---|
| 本名 | Drew Jacob Parker | 1997年生まれ | ウェールズ出身のレスラー |
| 生年月日 | 1997年12月29日 | デビュー時14歳 | 若くして頭角を現した世代 |
| 身長体重 | 約174cm・75kg | 現役期 | 軽量級寄りのデスマッチファイター |
| 出身地 | イギリス ウェールズ コナズクエイ | 少年期 | 欧州インディー文化の影響が色濃い |
| デビュー | 2012年7月11日 | 14歳 | ティーンエイジャーでリングに上がる |
| 主な異名 | ハリネズミ王子 デスマッチプリンス | 日本定着後 | トゲのある可憐さを表す呼称 |
表のとおりドリューパーカーは1997年生まれで、10代半ばの2012年にデビューした早熟型のレスラーとして知られます。体格的にはヘビーではないドリューパーカーですが、その分だけスピードや受け身の柔らかさを武器にしながら、デスマッチという過酷な土俵で存在感を示してきた点が特徴的です。
若くして評価された出身地とバックボーン
ドリューパーカーはイギリスのウェールズ地方コナズクエイ出身で、欧州インディー特有の自由度の高いマット文化の中で育ちました。地方都市から飛び出したドリューパーカーは、国内小規模団体を転戦しながらデスマッチだけでなく通常ルールの試合経験も積み上げ、技術と度胸を同時に磨いていったといわれています。
デビュー時期と初期スタイルの変遷
14歳でデビューしたドリューパーカーは、当初はECWオマージュのキャラクター「ECDrew」として、コミカルさとハードコアをミックスしたスタイルを取っていました。やがて経験を重ねる中で試合内容をシリアス寄りにシフトさせ、ドリューパーカー本来の身体能力と気合いを前面に出したデスマッチファイターへ徐々に変貌していったと言えるでしょう。
ハリネズミ王子というニックネームの意味
ドリューパーカーの代表的なニックネームである「ハリネズミ王子」は、小柄ながら全身をトゲだらけにして相手へ突っ込むファイトスタイルと、少しあどけなさの残るルックスのギャップから生まれた呼び名です。かわいらしい響きとは裏腹に、画鋲や有刺鉄線に突っ込んでなお笑顔を見せるドリューパーカーの姿は、ニックネームどおり愛嬌と危うさを同時に感じさせる魅力へつながっています。
デスマッチ路線に舵を切ったきっかけ
本格的にデスマッチ路線へ舵を切る転機となったのが、CZWのトーナメント・オブ・デスや英国のハードコアイベントへの参戦で、ここでドリューパーカーは自分の適性を強く自覚したとされています。一般的なルールよりも、危険な凶器や高所からの飛び技を駆使できる環境の方がドリューパーカーの良さを引き出すと評価され、以降は「デスマッチの新星」として国内外で注目を浴びるようになりました。
日本を主戦場に選んだ理由と背景
ドリューパーカーが日本、とくに大日本プロレスやフリーダムスを主戦場に選んだ背景には、日本のデスマッチ文化へのあこがれと実戦環境の充実がありました。蛍光灯やガラスボードなどを用いた過激なルールが体系化されている日本の団体は、攻めと受けのバランスを重視するドリューパーカーにとって理想的なステージであり、結果として複数のタイトル戴冠へつながる重要な決断になったと言えます。
こうしたバックボーンを踏まえてドリューパーカーの試合を見返すと、単なる無茶ではなく、若くして海外へ飛び込んだ覚悟や日本マットへの敬意が隅々に現れていることに気づきます。次の章では日本にたどり着くまでのドリューパーカーのキャリアをたどり、その過程でどのようにスタイルが洗練されていったのかを整理していきましょう。
英国インディー時代から大日本参戦までのキャリア

ドリューパーカーの現在のスタイルを理解するには、イギリス各地のインディー団体で鍛えられた時代を押さえておくことが欠かせません。ドリューパーカーがどのような団体を渡り歩き、どのような試合を重ねた結果として日本行きや大日本プロレス参戦につながったのかを知ることで、キャリア全体の流れが見通せるようになります。
イギリス各団体での若手期の試合スタイル
ドリューパーカーはBritannia WrestlingやATTACKなど多数の英国インディー団体で活動し、コメディ寄りのカードからシリアスなシングルまで幅広い経験を積みました。この時期のドリューパーカーはまだ流血度の低いハードコア寄りの試合も多く、ロープワークや空中殺法をしっかりこなすことで、後のデスマッチ専業期に生きる基礎体力とセンスを身につけていったと考えられます。
CZWトーナメントオブデス出場のインパクト
2018年にはアメリカのCZWトーナメント・オブ・デスに出場し、若手ながら危険なトーナメントに招かれたことでドリューパーカーの名は一気に広まりました。試合自体は優勝こそ逃したものの、ガラスや有刺鉄線を恐れず飛び込む姿勢を見せたことで、ドリューパーカーはデスマッチ界の次世代を担う存在として国内外メディアから評価されるようになりました。
FCPやATTACKで培った観客巻き込み術
欧州ではFight Club: PROやATTACKといった観客参加型の色が濃い団体にも多く参戦し、ドリューパーカーは声援を引き出すマイクや表情の作り方を学んでいきました。単に危険な技を出すだけでなく、痛みに顔をゆがめながらも笑って見せるドリューパーカー独特のリアクションは、この時期の経験が土台となり、日本のファンにもすぐに受け入れられる重要な要素になりました。
こうした英国とアメリカでの実績を積み上げたうえで、ドリューパーカーは本格的な日本遠征に踏み切りました。ドリューパーカーが選んだのは強烈なデスマッチ文化を誇る大日本プロレスであり、ここから一気にタイトル戦線へ駆け上がることになります。
- 2019年 大日本プロレス初参戦でデスマッチ路線を本格化
- 2021年 一騎当千デスマッチサバイバー優勝で評価を決定づける
- 2021年 BJWデスマッチヘビー級王座初戴冠で外国人王者となる
- 2022年 GCWトーナメントオブサバイバル7優勝で世界的に知名度上昇
- 2022年 フリーダムス常連として日本でもトップクラスの評価を得る
- 2023年 一度引退を表明し、その決断の重さが話題になる
- 2024年 イギリスやアメリカでマスクマンとしてリングに復帰
リストに並べた節目を追うと、ドリューパーカーが英国ローカルの人気選手から世界規模で知られるデスマッチスターへと変化していく過程がよく分かります。次の章ではその中でも特に重要な舞台となった大日本プロレスでのタイトル戴冠と、一騎当千デスマッチサバイバー制覇について、ドリューパーカーの視点から掘り下げていきます。
大日本プロレスでの戴冠と一騎当千デスマッチ制覇
日本マットでのドリューパーカーを語るうえで、大日本プロレスでの活躍は欠かすことができません。ドリューパーカーはBJW認定デスマッチヘビー級王座を二度巻き、一騎当千デスマッチサバイバーを制した実績によって、日本デスマッチ史の中でもはっきり名を刻む存在になったと評価されています。
BJWデスマッチヘビー級王座を二度巻いた意義
ドリューパーカーは2021年7月23日にBJWデスマッチヘビー級王座を初戴冠し、その後2022年には再び同王座を獲得して二度の戴冠を達成しました。外国人レスラーとして同王座を複数回巻いたドリューパーカーの存在は、大日本が培ってきたデスマッチ文化が国境を越えて受け継がれている象徴とされ、多くのファンからも歓迎されています。
一騎当千デスマッチサバイバー優勝の内容
2021年の一騎当千デスマッチサバイバーでは、ドリューパーカーはブロックリーグを勝ち抜き、決勝戦で伊東竜二を破って優勝を飾りました。ガラスボードや蛍光灯が砕け散る極限状態の中でも落ち着きを失わず、最後はスワントーンボムで試合を締めるドリューパーカーの姿は、「若きデスマッチ王」としての資質を決定づけた一戦として語り継がれています。
国内ファンに残した名勝負と評価
ドリューパーカーは伊東竜二や宮本裕向、アブドーラ小林など日本のデスマッチレジェンドとの対戦を通じて、その名を一気に浸透させました。日本人トップ選手の土俵で一歩も引かずに殴り合い、時には無謀とも思える飛び技で形勢をひっくり返すドリューパーカーのスタイルは、単なるゲスト外国人ではなく「BJWの主力の一人」として認識される大きな理由になりました。
大日本プロレスでの戴冠とトーナメント制覇は、ドリューパーカーにとって日本デスマッチ界の中核に食い込んだ証拠と言えます。ここからさらにドリューパーカーはフリーダムスやGCWなど、別のリングでもタイトル戦線に絡んでいくことになり、日本と海外をまたぐデスマッチプリンスとしての地位を固めていきました。
フリーダムスと海外デスマッチシーンでの存在感

大日本で評価を高めたドリューパーカーは、その勢いのままフリーダムスやGCWなど複数団体へ活動の場を広げました。ドリューパーカーがキングオブフリーダム世界王座を手にしたことや、GCWトーナメントオブサバイバル7制覇といった実績は、日本と海外の両方でトップクラスのデスマッチファイターとして認められた証拠だと言えるでしょう。
King of Freedom王座で示した安定感
フリーダムスでは2022年8月29日にキングオブフリーダム世界王座を獲得し、約157日間にわたって王座を保持したのがドリューパーカーです。ジュン・カサイとのガラスボード&蛍光灯デスマッチで複数回防衛を重ねたドリューパーカーは、団体の至宝を任せても安心な安定感とチャレンジャーを輝かせる受けのうまさを兼ね備えた王者として評価されました。
GCWやアメリカ遠征でのターニングポイント
アメリカではGCWのホームカミングやトーナメントオブサバイバルシリーズに参戦し、ドリューパーカーはGCWウルトラバイオレント王座やトーナメント優勝といった実績を重ねています。なかでもトーナメントオブサバイバル7でリナ・ヤマシタやマット・トレモントを破って優勝した一夜は、ドリューパーカーが「世界規模のデスマッチトーナメントでも頂点を取れるレスラー」であることを証明した重要な転機となりました。
トーナメント制覇が示すタフネス
一騎当千デスマッチサバイバーとトーナメントオブサバイバル7という、日米の主要デスマッチトーナメントを両方制した点は、ドリューパーカーのタフネスと適応力の高さを物語ります。短期間に複数試合をこなしながらもパフォーマンスを落とさず、むしろラウンドが進むごとにギアを上げていくドリューパーカーの戦いぶりは、トーナメント形式に強いレスラーとしてファンの記憶に残る部分です。
こうしてフリーダムスやGCWをはじめとした団体で実績を挙げたことで、ドリューパーカーは単なるゲストの外国人ではなく、デスマッチシーン全体を代表する選手の一人として認識されるようになりました。次の章ではドリューパーカーの技構成や試合運び、そして一度の引退と復帰を経た現在ならではの観戦ポイントを整理していきます。
技構成と引退から復帰までの歩みと観戦ポイント
デスマッチファイターとしてのドリューパーカーを見る時、どの技を勝負所に置き、どのタイミングでリスクの高いムーブを選ぶのかに注目すると面白さが増します。ドリューパーカーは空中殺法と受けの強さを組み合わせたスタイルに加え、一度の引退と復帰を経たことで試合の組み立てにも変化が生まれていると指摘されることが多い選手です。
450スプラッシュと飛び技の活かし方
ドリューパーカーの代名詞の一つが450スプラッシュをはじめとする空中殺法で、軽量級ならではの回転力と高さを活かしてフィニッシュに用いられます。デスマッチの文脈ではガラス板やテーブルの上に相手を寝かせ、その上からドリューパーカーが飛び込むことで、技の美しさと凶器の破壊音が同時に観客の記憶へ刻み込まれることになります。
ラダーやガラス板を使う試合の特徴
ラダーマッチやガラスボードデスマッチでは、ドリューパーカーはリスクの高いスポットを自ら買って出る場面が多く、試合中盤から終盤にかけて一気に会場の空気を変える役割を担います。ラダー最上段や場外のテーブル上へと身を投げる選択は危険ですが、そこでドリューパーカーが恐れを見せないからこそ、対戦相手の覚悟や試合全体のドラマ性がより強く引き立てられていきます。
引退表明から電撃復帰までの流れ
2023年夏に一度はプロレス引退を表明したドリューパーカーですが、その後2024年にはマスクをかぶった形で欧州団体にサプライズ登場し、事実上の復帰を果たしました。過酷なデスマッチで蓄積したダメージや精神的な疲労と向き合ったうえでリングに戻ってきたドリューパーカーは、以前よりも試合運びが丁寧になり、要所での爆発力にさらに説得力が増したと感じるファンも多いようです。
こうした技構成やキャリアの節目を踏まえると、現在のドリューパーカーの試合では「どの場面で飛ぶか」「どこまで自分の身体を削るか」という選択に注目することで、より深くドラマを味わえるようになります。最後に、ドリューパーカーをこれから追いかけたい人向けに、記事全体の要点をまとめておきましょう。
まとめ
ウェールズ出身のデスマッチプリンスであるドリューパーカーは、10代でのデビューから大日本プロレスとフリーダムスでの戴冠、そして日米トーナメント制覇と引退と復帰を経たことで、非常に濃密なキャリアを歩んできました。実際のタイトル歴や大会結果に基づいて整理してみると、ドリューパーカーが単なる危険なレスラーではなく、デスマッチというジャンルを国境を越えて押し広げてきたキープレーヤーであることが見えてきます。
これからドリューパーカーの試合を追うなら、BJWでの一騎当千決勝やフリーダムスでのタイトルマッチ、GCWトーナメントオブサバイバル7など節目のカードから見返していくのがおすすめです。記事で触れたような技構成やキャリアの背景を意識しつつ観戦すると、ドリューパーカーが流した血の一滴一滴にどんな覚悟が込められているのかが伝わり、デスマッチというジャンルそのものへの理解と楽しさもより深まっていくでしょう。


